またねとぶん投げる

最近、自分の半径5メートル、いや10メートルくらいの範囲で人が亡くなっている。(呪いみたいな話ではない)親族とか親友みたいな関係性じゃないけど、みんな、お世話になっていた人たちだ。

少し前まで、死はドラマチックなものかと思っていた。日常が大きく変わるような、劇的な出来事。だけど、実家に帰ると死の気配はいつもそばにある。こう書くと、死神が大きな鎌を持ってズリズリと近づいてくるようなイメージを抱くけどそんな緊張感があるものではない。例えば、玄関を開けたら必ず目に入る置物のように、ただ「そこにある」ような、そんなもの。

だから、「またね」という言葉を思い浮かべてしまう。それは学校からの帰り道、友達に向けて言う、疑わない約束のような「またね」と同じ。この「またね」が天国のあなたに届いている、なんてことは思わない。私はそこまでロマンチストじゃない。

では、誰に向けての「またね」なのか。私もわからないけど、強いて言えば未来かもしれない。人が亡くなった後に残るのは文字とか写真とか、そうした物理的なものだけじゃない。交わした言葉が、今、生きている人たちにリトマス試験紙のように浸透している。それは、ママ友と保育園の話をしている時や、帰宅後、直行してシャワーを浴びている時に、フッと取り出される。少し言い回しが変わっているかもしれないが、そこはご愛嬌。

なんだか別れを肯定したい気分になってしまった。新幹線でSuiseiNoboAzの『3020』を聞いたからかもしれない。誰かの意識がなくなっても、その意思を他の誰かが無意識に引き受ける。誰かと出会っていたこと。誰かと出会ったあなたはこの先も生きていくこと。そしてその過程で、また会うこと。それは劇的なことじゃなくて、普通のこと。だから生きていくしかないのかもしれない。

歩けど、あるけど。

昨晩のうちに積もった雪がまた地面を高くしている。ずぼ、ずぼ、ずぼ、いつもより足を大きく開いて進んでいく。

大きなパチンコ屋も、車の販売店も、コンビニも、みんな雪を寄せている。道路を走る車も制限速度より遅いスピードで走っている。

ようやく職場に着いたら、今度は私が雪寄せをする番。除雪機でざっくり道を作り、そのあとプッシャーやショベルで寄せていく。整地している感覚だ。
積もりたてのふわふわした雪ならまだいいが、雨混じりだったり、溶けかけの雪が一番厄介。出来損ないのシャーベットのようなそれは、見た目に似つかぬ重さをしており、とてもじゃないが掬って寄せることはできない。やろうもんなら先に腰をやってしまう。なので、ちまちまスコップで掬うか、気温が上がり、完全に溶け切るのを待つかということになる。ちなみに溶け切るということはほぼ無く、大体は半端に溶けた状態で固まり、さながらスケート場のように分厚い氷の層で地面を覆ってしまう。こうなるともはや雪寄せでどうにかなることではない。秋田の冬にはこうして短い期間の地層が生まれる。

言い出せばキリがないくらい、雪は不便だ。だけどそんな不便さを愛してもいる。便利さ、そしてそれが生む効率化は、必要な場面もあると思う。最近はAIによって写真もポスターも動画も、仕事の効率化のヒントも作ってもらえるようになってきた。
便利、そう思う一方で、モヤっとする。

ここに住んでいると、1日のうち2時間くらい雪寄せをする日だってある。地域によっては屋根から雪を落とす「雪下ろし」も必要になる。AIに「雪下ろしの方法」を聞いているうちに家が潰れてしまう。

私たちの生活というのはその居住場所と自然環境によって大きく左右される。それは大きな災害だけではなく、潮の匂いが洗濯物に移るとか、そういうことも含めて。

タイパとかコスパとか、そういう大きな流れからの逃避として、秋田に住んでいるということもあるのかもしれない。こういうことにまとめるのも違う気がする。もう少し考えていきたいから、今思ったことをここに置いておく。

みんなで作り上げた赤い服のおじさん

昨年の12月。職場のロッカールームで、こんな会話が繰り広げられていた。

 

「もう買いました?」

「いや、まだです。今日買いに行こうと思って」

「あー、大変!」

 

一瞬、ブツの取引かと思ったが、どうやらクリスマスプレゼントのことのようだ。

私は小学六年生くらいまでサンタを信じていた。比較的、長い方だと思う。サンタという存在に対して、かなりロマンチックな感情を抱いていたし、故に過度な期待をしてしまっていた。ある年のプレゼントが長靴型の箱に詰め込まれたお菓子セットだった時は、大泣きしたことを覚えている。それほど我が家の経済状況がひっ迫していたということなので、泣きたいのは親の方だっただろう。

中学生になると、周囲にサンタを信じている人は皆無だった。小学生の頃は「お前、サンタいると思ってんの?」とか「親に決まってんじゃん」みたいな、サンタいる派を冷笑するような言動をとる奴らがいたのだが、中学校ではそもそも「サンタを信じているか否か」という話題自体がなく、なんなら「サンタいつまで信じてた?」みたいな、もうそこは終わったよねという空気が流れていた。
私もソワソワし始めた。それまで盲目的に信じていた存在に対して、改めて現実的に考える。(サンタがいるとしてその目的はなんだろう。プレゼントを渡すという善行のもとに、無断で人の家に入る。不法侵入がまかり通っている。普段は玄関の鍵チェックを二重に行い、車のエンジンをかけた後にわざわざ戻って三重目の確認をするような母親が、サンタに対しては「プレゼントよかったね」だけで済ませているのも不可解だ。もしかしたらサンタには洗脳能力があり、母の認知を歪めているのかもしれない。かつ姿を見られないようにするための透視能力、そして壁抜けの技術、例えばピッキングなども心得ている。しまいには飛行能力まで。そんな強大な力を持った存在、かなり危険なのでは? というかやはりサンタいないのでは?)

そんな年のクリスマス。弟は健気にサンタ宛の手紙を用意している。あと、コーラと牛乳。(サンタの好物だと思っていたらしい。腹壊すぞ。)手紙には弟が以前から欲しがっていたゲームのカセットが書いてあった。
その日、私と弟を置いて出かける母からあることを命じられた。「これからプレゼントを買ってきて、玄関に置いておくから、弟の気を逸らして欲しい」というものだった。私はそこでようやくサンタがいないことを確信できた。ショックよりも安堵の気持ちの方が大きかった。よかった。もうサンタに怯える必要もなく、何より親のことを疑うことからも解放された。
安心した私は今しがた課せられたミッションを遂行するために、弟を部屋から出さぬよう誘導し、母が玄関にプレゼントを用意する時間を稼いだ。「玄関に置いたよー」というラインを確認し、良い頃合いを見て、弟を玄関に向かわせ発見してもらった。ふう、子供の夢を壊さないというのは大変だ。それはたとえ長靴のお菓子セットだったとしても。

ちなみにその年の私宛のプレゼントは、アマギフカードだった。サンタ、急に現金すぎるなと思った。

異なる国

「秋田に着いたよー」というメッセージと共に、雪が降るロータリーの写真を送ると、祖母からこんな返事が返ってきた。
「早く雪が降らない場所に越してきてね」

地元から離れた場所に暮らすあなたは、家族にどんなことを聞かれるだろうか。

「雪は屋根くらいまで積もるのか」
「いや、秋田市日本海側だから、そこまでかな。積もっても膝くらい?まあ年によっても違うけど。内陸の方、例えば横手とかはそのくらい積もるらしいね。」

なるべく詳しく話そうとして、結局煮え切らない感じになってしまう。(これは私の説明が下手なだけかもしれない。)

そもそもなぜ詳しく説明しようとしているのか。それは家族にとって、「秋田」は異国のようなものだからだ。これは比喩ではなく、文字通り「異なる国」ということだ。雪、なまはげ、秋田犬、食べ物はきりたんぽやいぶりがっこ。こういった漠然としたイメージだけで語られてしまうことがしばしばある。誰も横手の「ほろほろ」のことなど知らない。
そして、茨城には県の放送局がない。秋田でいうCNAやABSなどご当地な情報を発信しているキーがないのだ。テレビに映るのは全国放送用の情報で、秋田のことが発信されるのは「路線バスの旅」くらい。(それは流石に言い過ぎだが)朝のニュースの天気予報では、仙台の次は、秋田を飛ばして函館の天気をお伝えする。ただでさえ、限られた情報しか届かないのに、昨年は熊出没のニュースもあったので、家族が秋田に持つイメージは「雪がめちゃくちゃ降る不便な国」から「雪がめちゃくちゃ降って熊が出没する不便で危険な国」になってしまった。多分家族だけじゃなくて、関東圏に住む人たちはそんな風にどこか遠い国の話のように感じていた人も少なくないのではないだろうか。

私は秋田が好きだ。色々と不便なところ、特に雪関係は本当に嫌になるが、その不便さも含めて、ここで生活することだと思っている。
一方で、大学に進学していなかったら、一生秋田を訪れなかったかもしれないとも思う。茨城空港から3時間ほどで韓国に行ける時代に、それの倍以上、時間のかかる秋田に来ていただろうか。だけど、それは勿体無い。そう思った私は昨年、友人たちに呼びかけた。

自分で呼びつけたくせに本当に来るなんてと、かなり驚いたが、4人の友人がそれぞれ秋田にやってきた。そして驚いたことがもう一つ、家族がやってきた。父、母、弟、叔母、祖父、祖母。ハイエースを借りて、休憩込み、約9時間の道のりを北上してきた。男鹿と秋田市にそれぞれ2泊。色々詰め込んだ旅行だったが、楽しんでいた様子だった。

もちろん、観光という消費者的な目線だけでは秋田の生活まで知ることはできないが、例えば、ホテルを出た喫煙所で吐いた息が白かったり、集合写真を見返すと髪の毛が大暴れしていて、風が強かったことを思い出したり、庭先で胡桃を割るおばあちゃんを見かけたり、そういったわかりずらい、思い出にもならないようなことが、それぞれの中に蓄積されていたら良いなと思う。

異なる国

「秋田に着いたよー」というメッセージと共に、雪が降るロータリーの写真を送ると、祖母からこんな返事が返ってきた。
「早く雪が降らない場所に越してきてね」

地元から離れた場所に暮らすあなたは、家族にどんなことを聞かれるだろうか。

「雪は屋根くらいまで積もるのか」
「いや、秋田市日本海側だから、そこまでかな。積もっても膝くらい?まあ年によっても違うけど。内陸の方、例えば横手とかはそのくらい積もるらしいね。」

なるべく詳しく話そうとして、結局煮え切らない感じになってしまう。(これは私の説明が下手なだけかもしれない。)

そもそもなぜ詳しく説明しようとしているのか。それは家族にとって、「秋田」は異国のようなものだからだ。これは比喩ではなく、文字通り「異なる国」ということだ。雪、なまはげ、秋田犬、食べ物はきりたんぽやいぶりがっこ。こういった漠然としたイメージだけで語られてしまうことがしばしばある。誰も横手の「ほろほろ」のことなど知らない。
そして、茨城には県の放送局がない。秋田でいうCNAやABSなどご当地な情報を発信しているキーがないのだ。テレビに映るのは全国放送用の情報で、秋田のことが発信されるのは「路線バスの旅」くらい。(それは流石に言い過ぎだが)朝のニュースの天気予報では、仙台の次は、秋田を飛ばして函館の天気をお伝えする。ただでさえ、限られた情報しか届かないのに、昨年は熊出没のニュースもあったので、家族が秋田に持つイメージは「雪がめちゃくちゃ降る不便な国」から「雪がめちゃくちゃ降って熊が出没する不便で危険な国」になってしまった。多分家族だけじゃなくて、関東圏に住む人たちはそんな風にどこか遠い国の話のように感じていた人も少なくないのではないだろうか。

私は秋田が好きだ。色々と不便なところ、特に雪関係は本当に嫌になるが、その不便さも含めて、ここで生活することだと思っている。
一方で、大学に進学していなかったら、一生秋田を訪れなかったかもしれないとも思う。茨城空港から3時間ほどで韓国に行ける時代に、それの倍以上、時間のかかる秋田に来ていただろうか。だけど、それは勿体無い。そう思った私は昨年、友人たちに呼びかけた。

自分で呼びつけたくせに本当に来るなんてと、かなり驚いたが、4人の友人がそれぞれ秋田にやってきた。そして驚いたことがもう一つ、家族がやってきた。父、母、弟、叔母、祖父、祖母。ハイエースを借りて、休憩込み、約9時間の道のりを北上してきた。男鹿と秋田市にそれぞれ1泊。色々詰め込んだ旅行だったが、楽しんでいた様子だった。

もちろん、観光という消費者的な目線だけでは秋田の生活まで知ることはできないが、例えば、ホテルを出た喫煙所で吐いた息が白かったり、集合写真を見返すと髪の毛が大暴れしていて、風が強かったことを思い出したり、庭先で胡桃を割るおばあちゃんを見かけたり、そういったわかりずらい、思い出にもならないようなことが、それぞれの中に蓄積されていたら良いなと思う。

集まりながら、関わり合う。

新幹線と特急を乗り継ぎ、約7時間。年末、実家に帰った。一件の通知でポケットが揺れる。
「2日から午後から行けるかも」

地元にいる友人のYからピザ会の開催を提案されていたので、他の友人たちにも呼びかけていた。実家の庭には大学生の頃にYと作ったピザ窯があり、たまにこうして活用している。
既に結婚し子供を育てている人もいれば、埼玉の大型スーパーで元日まで働き、二日間だけ帰ってくる人もいる。住む場所も休みの日もバラバラなので、年末年始といえど集まるのがなかなか難しいのだが今年は叶いそうだ。

夏頃、職場の面談で「未来のこと」を聞かれた。秋田は人口減少、少子高齢化など、日本が抱える漠然とした課題の最先端とも言われる。そんな場所に拠点を構えるNPOに務める職員として、考えている未来を話すという内容だった…はずだ。私は未来の話が苦手なので、帰省する度に感じていたことを話した。
私の祖父母は精肉店を50年以上にもわたり営んでいたが、2023年の大晦日に店を畳んだ。爺ちゃんに最近何してるの?と聞くと「何もしてね」と言う。50年も仕事をしたのだ。少しくらい休んだっていい。そう思う一方で、仕事の時間がなくなった今、この場所で何ができるのだろうと考えてしまう。ここはいわゆる「何もない」町。祖父母の肉屋が無くなってからそれは加速したように思う。私は友人も含めて、そんな地元に住む人達を憂いていた。そしてこの場所にも私が働いているような施設があったら良いのにとも思い、そんなことを面談で話した。

だが、本当にそうだろうか。
ピザを食べるという名目で集まった我々は、それぞれの仕事のことを語り合い、愚痴をこぼしたり、適当な相槌を打ったりする。一人は生まれたばかりの子供を連れてきてみんなに挨拶する。アンパンマンの靴下はお母さんとお揃いだ。明日の朝からまた仕事らしい。もう一人は親戚から「地元に帰ってこい」としつこく電話がかかってくることを吐露する。家業がある人間にとって、人生の選択は必ずしも主体的に選ぶものではない。かと思えば、元日から打ったパチンコ台の魅力を熱弁するやつもいる。いつの間にかピザのチーズは固まり、コーラの炭酸はすっかり抜けている。

ここには何もない。そうは思わないけれども、やっぱり娯楽は限られる。だけどその分「集まる」ことの価値、そしてその重要性をここに住む人たちは肌で知っている。集まる理由はなんでも良くて、ボードゲームかもしれないし、お肉屋さんでの買い物かもしれないし、ピザ窯かもしれないし、葬式かもしれない。もっとどうでもいいことだっていい。正月という区切りに合わせなくたっていい。大変おこがましいが、私が帰るということも集まる理由になるらしい。

大きな施設を作ってそれを運営する、そんなことをしなくても、もっと小さな何かで十分なのだ。もちろん、だから地元に対して何もしないと言うわけではないのだが、少し心が軽くなった。今年はもっと気軽に誰かを誘って出かけてみたい、そんなことを考えた1月2日。

移動記 6/14 日詰商店街に行く

6月14日(土)

スマホのナビに「日詰商店街」と入力する。既に「行ってみたい」の旗が立っていて、昨年電車で向かったことを思い出す。
今年は父からもらったお下がりの車で向かう。

友人のYくんを拾うために、まずは横手に向かう。ナビが示す所要時間は変わらないので、高速ではなく下道で向かってみる。
が、出発してから約20分。都市部を離れるにつれ、山間を縫うようにして作られたカーブの多い路になり、トンネルに入ると宇宙かと思うほどに漆黒の闇が広がっていた。なかなかデンジャラスな道のりだったので、帰りは高速にしようと決めた。
ちなみにここまでパートナーに運転を任せている。

予定時刻を30分ほど遅れて横手に到着。Yくんを乗せ、運転を代わる。
ナビをセットし直していると、一見の通知。

「14時ぐらいに着くと思う」

高校時代の友人、キヨスケからだ。彼は連休を使って岩手、秋田に旅行に来る。昨日のうちに盛岡に着いているはずだったのだが、結局当日になって、新幹線で向かっている。

「了解。お昼は先に食べちゃうね」

日詰までは高速で向かう。車が古すぎるせいか、会話できないくらいのエンジン音が鳴り響く。100キロ近くのスピードで走っていても追い抜く車が続くから、恐ろしい。

日詰に到着。一度来ただけなのに、懐かしく感じる。

時刻はお昼過ぎ。お腹も空いているので商店街にある焼肉屋さんの扉を開ける。その瞬間、煙と匂いが鼻腔を貫く。
完全に脳が支配され、冷麺を頼むつもりが、牛タン定食を注文していた。テーブルに網がついているタイプのお店だったので、仕方がない。Yくんは一番高いハラミ定食を頼み、肉を全て焦がしていた。

腹ごしらえを終え、キヨスケと合流。軽く自己紹介をして、各々バラける。

商店街はまっすぐな道になっていて、両脇にお店が立ち並ぶ。
今日はここで「本と商店街」というイベントが開かれている。
編集者や本屋のオーナーなど、本にまつわる人たちが出店するイベントで、販売はもちろん、トークや製本のワークショップも開催されていた。
出店者の中には、秋田で暮らす顔見知りの人たちもいる。

一軒一軒、ブースを回っていく。このイベントでは出店者と直接コミュニケーションを取れることが大きな魅力だ。自主制作の雑誌やZINEなどを制作している人たちも多いため、この機会にいろいろ質問したり、感想を伝えるお客さんも多い。
かくいう私もそうだ。だが、ずっと話しているとブースを独占してしまうので、なんとなく周りに気を遣って、流れていく。

順番待ちの間にふと考える。思えば秋田に来たことも流れ着いたようなものだった。
今はそんな秋田で働いて、今日は秋田で出会った人たちと隣の県にいて、高校時代に苦楽を共にした友人とも再会している。
彼と会うのは7年ぶりだったらしい。そんな感覚すらも忘れるくらいに流れていたのだろう。

まっすぐな商店街を歩き、すれ違い、話して、また歩く。そこには主体的な動きだけではなく、水の力に押し出され、川上から河口へと運ばれるような、抗うことすら考えない自然な動きもある。
きっとこれからも、漂流するようにいろんな場所や人と出会っていくんだろう。