書くしかない 

社会人になってはや8ヶ月。
就職する前は、社会人=地獄の責め苦くらいの認識だったのだが、幸いなことに職場にも恵まれ、思っていたよりも楽しい日々を送っている。


だが、そんな仕事にも逃げたい業務はある。それが「書く」ということ。
プレスリリース、メール、レポート、刊行物の原稿、会議の資料に至るまで、文章を書かない日は1日たりともない。

学生時代、いやこれまでの生涯といっても良い。とにかく文章を書くことへの苦手意識があり、実際いわゆる上手い文章を書けた試しはないと思う。
私が提出してきたレポート課題や読書感想文は、かなり読む側への負担があっただろう。本当に申し訳ない。

そもそも、執筆という行為は、確固たる己だったり、うちから湧き出る思いのようなものがある選ばれた人種が書くものだと思っていた節があった。
私にはそんな燃え上がるような、またはドロっとした思いはない。

一方で、自分以外の誰かの活動を伝えたいという気持ちはあった。そのために「アイスが溶けてから。」という配信番組や、執筆以外のメディアを企画し動かしていた。
映像配信というメディアは、フィールドワークやリサーチを軸とする大学の特徴とも相性がよく、外部からの評判もよかったし、何より私が楽しんでいた。

 

執筆に頼らなくてもそれ以外の手法で伝えていけば良いんだ。そう思うと解放されたような気分だった。
実際には番組を運営する上でも、文章を書く場面は多々あったのだが、それは得意な人にゴリ投げしていた。とんでもない野郎である。

書かなくてはいけない。本当はわかっていたのだが、自身への想像を絶する甘さゆえに、先延ばしに先延ばしを重ね、今に至った。

仕事で書かざる得なくなったというのもあるが、もっと先の将来、書くことは避けては通れない気がする。カッコつけた言い方をすると、避けられないような道に進みたいと思う。

書くことを仕事にするとか、良い文章を書けるようになりたいとか、そんなんなんじゃなくて、いや正確にいうとそれも少しある。

でも、もう逃げてはいけない気がした。
くだらないことでも、間違っていても、誰かに伝えるために言葉を使う。

毎日とか書くとか決めると、絶対に続かないし、何より苦しい記憶になっていまいそうなので、そういった具体的な目標は定めないが、ちまちまと書いていこうと思う。

よろしくお願いします。